しばしば友達に偽善者呼ばわりされます。
私はロードバイクに乗るようになってから、バカみたいに真面目に信号を守るのですが、その友達と一緒にいると、信号守っただけで偽善者と言われます。(まあ、半分冗談で言ってるのでしょうが)
「自転車は車と一緒なんだよ。信号無視は法律違反だ!」
と私が言うと、
「偽善者め!ペット禁止のアパートで猫飼ってるくせに信号だけは守るって、おかしいよ。」
などと反論された。
猫は一応野良猫が勝手に遊びに来ているだけで飼ってはいないのである。
そのために冬でも常に窓を15cmくらい開けっぱなしにしてある。
出入り自由、あくまでも野良猫なのです。
しかも猫に餌あげたりしているのは妻がメインなので、私は関与していないと言っても過言ではない。
だからその件は勘弁してください。
それはいいとして、しかし彼の理論はいかがなものか。
<Aのルールは守らずにBのルールを守るのはおかしい>
という事は、
<Aのルールを守るならBのルールも守るべきである>
つまりは
<Aのルールを守らないならBのルールも守るべきではない>
と言っているのだ。
という事は、信号を守っていない彼は、他の一切のルールを守っていないという事なのである!
全てのルールを守らないよりは、どれかひとつでも守った方がいいのではないか!それが偽善者と呼ばれようとも!
ひとつのルールすらも守らない彼は、偽善者どころか悪者なのである!
という、どうでもいい屁理屈を後から思い付いた。
それはさておき、昔、献血にハマっていた時にも別の友人に偽善者と言われた。
誰かがちょっといい事をすると、とりあえず「偽善者」と言っておけばかっこいいみたいに思ってるヤツが多い気がする。
偽善って何でしょう。
<やらない善よりやる偽善>
とは、自分が割りと好きな言葉。
誰かに対して偽善偽善と言って侮蔑するのは簡単ですが、その人たちは結局何も行動しない。
反対に、たとえ人に良く思われたいという理由でも献血なりボランティアなりする人は、実際人の役に立っているならそれはそれでいいのではないか。
実際私が献血していたのも、もちろん自分の血液で誰かが助かれば嬉しいという思いもあったが、回数をこなすと記念品がもらえたりするし、健康のためにたまには血を抜いた方がいい、とか、意味もなく「目指せ100回!」とか、自分本意の理由も往々にしてあった。
まあ最近は、
「前日にお酒飲んでいたらできません」
とか言われちゃって、それ以来足が遠退き、100回いかないままストップしていますが。
結局なにが言いたいかというと、自分は何もせずに文句ばかり言うような輩に何を言われようが、気にせずやっちゃったもん勝ち、という事です。
やります。
やっちまいます。